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45件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2005-07-12 第162回国会 参議院 外交防衛委員会 第18号

一九九一年の中東湾岸戦争におきまして、イラクからスカッドミサイルが発射されたのは記憶に新しいところであります。イラクから発射されたスカッドは、ソ連が開発しましたスカッドBをベースに射程を延伸するよう改良されたものでした。スカッドBの直径はV2型の約半分で、射程は約三百キロメートル、そのペイロードは約一トンということで、これはV2型とほとんど同等であります。

西山淳一

1999-04-15 第145回国会 衆議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第8号

沖縄の私たちは、かつて地上戦を体験し、敗戦後も在沖米軍朝鮮戦争ベトナム戦争を肌で感じ、復帰後も中東湾岸戦争への出撃など、痛苦の思いで見てまいりました。私は、戦争はだれが何の目的でやるのか、住民の視点に立って学んでまいりました。戦争と平和のメカニズムにメスを入れ、それをみずからの生き方に生かすことが、過去の戦争や平和を学ぶ意義だと信じたからであります。  

石川元平

1993-12-03 第128回国会 参議院 規制緩和に関する特別委員会 第4号

企業業績の悪化を考えると、なぜ中東湾岸戦争のときに国際貢献増税といって、たしか申告所得八百万円超の部分に法人臨時特別税というのを一年限りで課して、戦争がとっくに終わっちゃった後の来年の三月三十一日まで法人特別税と名前を変えた税金が二年も存続しているかというふうなことは私にとって大変疑問です。

宮智宗七

1993-05-12 第126回国会 参議院 決算委員会 第5号

政府は、その理由を湾岸戦争後の新たな状況に応じと説明しますが、この拠出は、中東湾岸戦争時の多国籍軍の活動に対する協力として支出された一兆一千七百億円、いわゆる九十億ドルの目減り分補てんの疑いが極めて濃いものであります。  湾岸戦争時における多国籍軍戦闘行動に対する資金提供は、たとえ湾岸平和基金を経由したものであっても、我が国平和憲法の上から許されるものでは断じてありません。

西野康雄

1992-06-10 第123回国会 衆議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第4号

また、昨年の正月からは中東湾岸戦争というものを経験をしたわけでございます。その経験から得られた教訓、私は私なりに三つほどこの教訓があるもの、こう理解をしております。  一つは、冷戦が終わった、冷戦終結をした、こういいましても、それは手放しで喜べる、あるいは世界に恒久平和が訪れたんだ、こういうことで手放しで喜ぶわけにはいかない。

船田元

1991-12-17 第122回国会 参議院 決算委員会 第2号

第一に、中東湾岸戦争に際し、多国籍軍に対する協力費を支出したことであります。これは平和憲法精神に反するものであり、国民の合意がないままの支出でありました。また、平成二年度予備費の四〇%強を占める政策経費であるにもかかわらず、予備費を所管する決算委員会には事前に説明すらなかったのであります。こうした形での戦争協力には強く反対するものであります。  

村田誠醇

1991-11-25 第122回国会 衆議院 決算委員会 第2号

第一に、中東湾岸戦争に際し多国籍軍に対する協力費を支出したことであります。これは平和憲法精神に反したものであり、また、その使途についてもいまだ完全につまびらかにされておりません。こうした形での戦争協力には強く反対するものです。  第二に、消費税導入環境整備のため、老齢福祉年金受給者等に対し一時金を支給するという小手先の手段をとったことであります。

時崎雄司

1991-11-20 第122回国会 参議院 産業・資源エネルギーに関する調査会 第1号

日本LPG備蓄制度につきましては、石油備蓄法によりまして輸入会社輸入量の五十日分を備蓄する義務をつけておるところでございますけれども、さきの中東湾岸戦争のときの経験を踏まえまして、LPG国家備蓄が必要かどうかということも含めまして、LPG安定供給政策について石油審議会石油部会液化石油ガス分科会において先般検討を始めていただいたところでございます。

山本貞一

1991-08-23 第121回国会 参議院 予算委員会 第1号

この間の世界の動き、一々申し上げませんが、ベルリンの壁の崩壊とかあるいは冷戦構造の終えん、そして中東湾岸戦争最近ではロンドン・サミット、いろいろと激動の時代に総理はこの二年間精力的に外国を回り、首脳外交を展開されました。また、先日もお盆休み中国に行かれ、西側の首脳としては天安門事件以来初めて中国に行かれ、モンゴルにはまさに初めての訪問をなさいました。

井上孝

1991-04-26 第120回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第6号

いずれにいたしましても、今回の中東湾岸戦争におけるものが短期の中に終結して平和に向かったということは大変よかったわけでございますが、問題は、中東湾岸におけるいわゆる戦争の後をどういうふうにしていくのか。  御案内のとおり、ペルシャ湾沖にはたくさんの機雷があるわけであります。先ほど申し上げましたが、今回の掃海艇の派遣ということにつきましては大変な英断でございます。

増子輝彦

1991-04-23 第120回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

そういう中で、特に、話は飛ぶようですが、ジュネーブを中心に国連機関がございますけれども、今回の中東湾岸戦争を契機に随分と活躍をされているわけですが、そういう国連機関の中に占めます日本人スタッフの数というのは非常に少ないですね。非常に少ないです。例えば緒方貞子さんを長にします難民高等弁務官の中でも日本人スタッフは、全体で二千人いる中で二十三人かそこらと私たしか聞きました。

伊藤忠治

1991-04-12 第120回国会 衆議院 外務委員会 第9号

───────────── 三月二十二日  中東湾岸戦争平和的解決に関する陳情書外五十三件(第一八号)  児童の権利条約批准に関する陳情書外十六件(第一九号)  人種差別撤廃条約早期批准に関する陳情書外二件(第二〇号)  ILO第百五十九号条約批准に関する陳情書(第二一号)  朝鮮民主主義人民共和国との国交樹立に関する陳情書外八件(第二二号) は本委員会に参考送付された。     

会議録情報

1991-04-09 第120回国会 参議院 外務委員会 第5号

イラククルド人難民の問題が今国際的な一つの大きな議題に浮上してきたわけですが、外務省、どうでしょうか、この中東湾岸戦争が終わった時点でそれから一カ月を出ない間に、一説によれば数百万人、二百五十万から四百万というようなクルド人難民が発生するということについて一つの予測はありましたでしょうか。

中村鋭一

1991-04-08 第120回国会 参議院 予算委員会 第17号

もう一つは、中東湾岸戦争は終わりました。そこで、国連の後始末で、まず両国の国境の監視団をやるPKOの問題も報道されております。我が国ではこの前の協力法案が廃案になって自公民三党で新しい対策をつくる、こういうふうになっているわけなんですが、この構想について今度の日米首脳会談で話があったのかどうか。

三治重信